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2015年10月17日土曜日

考えごと

絵を見ること。
画面だけの良さを純粋に見ることをめざす場合。

展示方法の演出(演出という言い方をするが)によって、良い絵なのに良い絵だと言えなくなる(見えずらくなる)という事は実際には起こる。
それは、見る者が、演出の影響受けた上で絵を見ているから。
ならばホワイトキューブでの展覧会は純粋な鑑賞と言えるのだろうか。

否、少なくとも「展覧会」という形式で「絵を飾る」事においては、人為的な演出はどうやっても付加されてしまうだろう。
「この壁を選んでこの絵をかける」それだけでもう演出は行われている。
作家のコンセプチュアルな演出によって、絵が見えづらくなるということは、見てる人は普段から演出の影響を受けて絵を見ているということになる。
すなわち、ホワイトキューブで良い絵を純粋に鑑賞していると思っているときも、意識させられてないだけで、演出された絵を見ていることになる。

てことは、過去に見た「良い絵」とは、本当に画面の良さだけの純粋な良い絵なのだろうか。意識させられてない演出が付加価値になって絵の良さを作っていたのではないか。

じゃあ良い絵ってなんだろう。


いままで純粋鑑賞で良い絵(画面)だと思っていた絵は、作家のコンセプチュアルな部分(作家がそれを意識してるかしてないかは別)で演出されて展示されていたもので、
絵の良さってそういう演出と一緒になって見えてくるものもあるんじゃなかろうか。

っていう考えは時代遅れだけど一度ガチで考えておくのもいい。

楽しい