2016年1月30日土曜日

読書日誌 椹木野衣「アウトサイダー・アート入門」

2009年後半
テレビも漫画も本も見れなくなった。
人混みや看板がギラギラしている場所にいけず、本屋にも入れなかった。

多分情報が多いのがダメだったんだと思う。
自分の感覚のフィルターが取れて、あらゆる情報が流れ込んできてしまう状態だったのだろう。流れ込んでくる情報は全て整理しなくては気が済まず、それができないから混乱した。
要するに自分の情報センターが制御不能だったのだ。


今現在はテレビはないが、あったら見れるし、漫画も映画も見れる。
文章も読めるし、情報過多も整理出来るようになったが、
どうも集中して本を読まなくなってしまった。
そもそも古本屋になったのは、十代〜20代までものすごく熱心に本を読んでいたからでもある。
古本屋なのに今のままではこれは困ったということで、現在リハビリ兼ねて少しづつ読んでみている。


椹木野衣の「アウトサイダー・アート入門」を読んだ。


椹木野衣はおそらく自分ではオルタナティブな立ち位置にいると思ってると思うのだが、私から見ると圧倒的な権威である。
なのでちょっと素直に言うことを聞きたくない気持ちが働いてしまう。

だから、思いっきり偏見の思考でこの本を読み始めた。
偏見の思考というのはつまり、
アウトサイダー・アートと呼ばれる典型的な人たちをただ紹介してるだけで、アールブリュットに落とし込んでおるんだろうなーという
ど偏見である。

結論からいうと、逆であった。


個人的に嬉しかったのは、コリン・ウィルソンに触れていた事であった。
本を一番読んでいた時、彼の本は貪るように読んでいた。彼が正規の教育を受けていない独学者という経歴もかっこよかった。要するに彼はアウトサイダーなのだが、彼のデビュー作のタイトルはずばり「アウトサイダー」なのだ。
アウトサイダー・アートについて語る時、コリン・ウィルソンと繋げる人はまぁいなかっただろう。

あえてマイナスイメージを背負う「アウトサイダー・アート」という言葉にこだわっている事も良かった。

アートの世界における権威的なものへのアンチの気持ちがある人は、自分の気持ちを言語化してもらった気持ちになれるのではないだろうか。

残念なのは、2つ。
本の作りなのだが、フォントや文字級数からしてすごくしょうもなさそうな本に見えることと、
読んでいる途中で売れてしまって読了出来なかったことである。